強い関心を持って眺めているが、肝心の点に切り込んだ論説が見当たらない(偶々、目に出来ていないだけという可能性も大いにあると思う)。
ある人が、自身の尊厳を保つために熟慮の上、心底から自殺を望んだ(という事実認定に至った)として、それを実現する方法を持たない場合に、その実現に関与することの当罰性をどのように理解したら良いのか。
刑法202条を、自殺が個人の自己決定に委ねられた適法行為であるとの前提の下に、それでもそれに関与することが違法だという特別の立法だと理解した場合、あらゆる自殺関与行為を有罪とすることが社会通念だという説明になろうが、その結果、「自身の尊厳を保つために熟慮の上、心底から自殺を望んだ」ある人は、しかし、その依頼を受けることが犯罪になるが故に協力を受けられず、尊厳を冒された状態を甘受することになるという矛盾が露呈する。その矛盾への明確な答えが出せないなら、今回の件を安易に犯罪呼ばわりしたり、身体拘束するというのは宜しくない。
刑法202条の規定ぶりに拘わらず、然るべき例外を用意せざるを得ないだろう(適法な自殺に関与しても違法だという、もともと特別な立法であると解する立場からは、国家がそれを用意しないなら、別途、例外を設けざるを得ないという方向に傾く)。緩やかであれば危険な事態になるし、厳しすぎれば尊厳を冒された状態を甘受させられる「ある人」を放置する結果になる。
丁度良いギリギリの解釈を見つけ出すことは難題中の難題だが、そこから目を背けては、どこかに救われない人を残してしまうだろう。
(弁護士 金岡)