といっても精読したわけではなく、各回の議事録を通読した程度の話である。
入管的に言うところの「送還忌避」者(それにしても嫌な言葉だ。国が品性を欠く独特の造語を繰り出すことは今に始まったことではないが、軽い気持ちで使うと、いつの間にか潜在意識になにやら刷り込まれている気持ちがする。)の増加や収容の長期化をどうにかするための、専門部会の議事録全部と報告書が公開されたので、一通り読んでみた。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri03_00001.html
基本的にひどい内容で、「提言」公表以来、あちらこちらの単位会(知る範囲で、東弁、一弁、千葉弁)や日弁連から批判的な意見が公表されていることも尤もであるが、入管行政が法治の埒外にある現実を知るためにも、是非、一読されると良いと思う。
弁護士委員の宮崎弁護士や、招請されて意見を述べた児玉弁護士は、私よりも遙かに外国人の在留問題に真摯に取り組まれ、実績を上げておられるが、彼らの意見は基本的に少数に押しやられ、「反対した委員もいた」程度扱いを受けているのが殆どである。
諸悪の根源は、裁判を受ける権利や人身の自由を尊重せず、送還に支障を生じさせる具体的なおそれがなくとも無為に収容し続けたり、寝込みを襲って不意打ちで強制送還を執行してしまう入管行政にある(これを是正できない裁判所にも問題は大きいが)。
この点も議題には上り、仮放免手続の透明化や裁判基準化、出頭確保を図りつつ収容しないで済む方法論の検討も提言はされたが、逆に言えば救いがあるのはこの程度。
それ以外は、司法の関与を拒みつつ、例えば刑事罰をもって退去強制を義務付けようという異様な発想に塗れている。
一つ二つ、取り上げよう。
例えば提言42頁以下では、「収容」について「事前にかつ一律に司法審査を要するものとすることは問題が大きい」ことが多数意見であると明示されている。
同じく刑事手続の収容に、強制処分法定主義と令状主義の二重の縛りがあり、それも序盤は時間単位で厳格な制約が課され、(現実に上手く機能しているかはともかく理想論としては)間違っても無用な収容は避けようという思想が行き届き、そのために行政作用を立法と司法で二重に監視しようという緊張関係が確立しているというのに、入管の収容は、入管の認定する退去強制事由があれば無条件且つ天井知らずであり、理由開示制度もなければ(憲法の勾留理由開示手続が準用される余地はないだろうか?)不当な収容を司法手続で争うことさえ容易ではない。
この説明しがたい相違にこそ目を向けるべきであるのに、「事前にかつ一律に司法審査を要するものとすることは問題が大きい」とは、一体どういう感性なのだろうか。因みに、議事録を通読しても、ここでいう「問題が大きい」とされる「問題」が何だったのかは遂にピンと来ず仕舞いであった。
また例えば、提言29頁以下では、退去命令制度を創設して、退去命令違反には刑事罰を以て臨むことが、やはり多数意見として提言されている。
弁護士委員からは、在留方向で援助する弁護士の活動が幇助犯に問われかねず萎縮する危険が指摘されるも、多数派委員の一名からは杞憂と一蹴されるような議事経過があったが、果たしてそうだろうか。
退去命令制度の対象者がある程度、絞り込まれるにしても、その対象者から司法手続により対抗したいと法律相談を受けることは当然に想定されよう。その場合に、「あなたが提訴しても濫用的とみられるおそれがある」「濫用的とみられると、濫用的訴訟で居座ることが犯罪に該当し、私まで幇助犯に問われるかも知れないので、受任できない」のような萎縮効果が生じるだろうことは、自明である。「そんなことは普通起きないよ」という論は、国家権力の横暴を抑止することの論証にはなっていないし、いざというときに濫用できる縁を残すことの危険こそ、「いつか来た道」だということすら理解していない委員が参画していると言うことに、失望する。なんだかんだと理屈を付けてあらゆる行為を反政府活動として逮捕可能にしていくことは、現在も世界的に見れば行われていることであり、日本だけがそうならないという保証はなく、裁判を受ける権利の行使自体を犯罪視し得る制度は、存在すら許されないはずではないか。
とまあ、語り尽くせぬものであるが、本欄では時々言及しているように、入管行政は、刑事手続よりも遙かに法治の埒外にあるのが現状である。先だって、ささやかながら入管相手に一つの国賠をものにしたところであるが、まだまだ足りない。今後、入管行政を法治の下に置くためにも、まずは現状を知るべく、議事録などを読むところから始めると良いだろう。逆説的だが、醜悪な本音が露骨に現れていることに、資料的価値がある、といえなくもない。
(弁護士 金岡)