手続更新のため、自分の尋問の法廷録画を視聴する機会に恵まれた。往時、「原則通りの手続更新」を行うと、裁判体が代わり代わりに尋問調書を朗読するという実に滑稽な事態にしかならなかったが、法廷録画の上映会となると、ちょっと違う。

本裁判所の場合、画像は証言台から向かって右斜め前のカメラで録画されている。そのため、取り調べ録画のように尋問者が映り込むことはないし、基本的に証人の胸部以上しか確認できない。これは宜しくない、と実感した。
というのも、じっくり映像で証人を見ていると、非言語コミュニケーションというものが良く分かるような気がするからだ。「93%」という報告が正しいかはさておいて、唾を飲んだとか、せわしなく身体の特定部分を触る仕草とか、険しい表情を浮かべて俯き加減になるとか、想像以上に伝わってくるものがある。伝わってくるものがあるからと言って、それを尋問に取り込むかどうかは別論であるが(特に私の志向する尋問技術においては、そのような技法の習得には至りそうもない)、伝わってくる以上は残す必要があるだろう。胸部以上だけでもこれだけ伝わってくるものがあるのだから、より全身を記録する方が正しいに違いない。
なお、尋問者は、通常、証人を正面から見ることができない。私は、「前を向いて証言して下さいね」という注文は馬鹿げていると思っている口なので、向き合って会話するような尋問を好むが、それでも、正面から見るという風にはならないし、メモだ資料だと、視線をそらすこともあるので、証人に対する観察はお粗末である。自分の尋問の法廷録画を視聴することで、そのことが良く分かった。後日の課題としたいところである。

もう一つ。
音声だけでも、教材として面白い。
努めてゆっくり目に、聞き取りやすく発声している点では及第点だろうか。
割と、きまじめな声に聞こえるのも良し。しかし、異議の応酬になると、声に茶化すような性質が混ざる時がある(概して、そういうときは相手を侮っている場面なので、誤魔化せないものである)。等々。

(弁護士 金岡)